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殿のご自慢 1

 注: この話は、架空の時代の架空の国の話です。
    出てくる用語は、戦国から江戸時代のものを参考にはしていますが
    官職等による呼び名は特に難しいので、ほぼ省きます。
    これは決して史実に沿った歴史小説ではありません。 ごめん。
 
 
八島 (やしま) の殿のご自慢は、武力に長けた三人の若い武将。
冷徹で血筋の良い見目麗しい、千早高雄 (ちはや たかお)
真面目で実直ゆえ誰からも好感を持たれる、伊吹 (いぶき)
遊び好きだが戦場では鬼人と化す頼もしい、乾行 (けんこう)
 
 
高雄を除くふたりは、いくさ孤児ゆえ苗字がない。
三人は歳が近い割に、性格がバラバラだったのがかえって良かったのか
気が合い、協力し合う友である。
 
時は、天下を治める者が出ず、あちこちで小競り合いが続く
正に “戦乱の世” であった。
 
 
「伊吹、どこへ行くのだ。」
声を掛けたのは高雄。
「合戦となる地を、下見に行ってくる。」
 
「そうか、私はこれから町で兵の募集だ。」
「管理職は大変だな。」
笑う伊吹に、苦々しい顔をする高雄。
「・・・言うな、家の名ばかりの役職だ。
 ところで乾行は?」
 
「・・・さあ? 町に行けば会えるんじゃないか?」
「という事は、また女遊びだな。
 とっ捕まえて手伝わせてやろう。」
 
じゃあな、と別れるふたり。
乾行が逃げ回る姿が目に浮かび、伊吹はクスッと笑った。
 
 
町から少し歩いた先の小高い丘の向こうに、荒れた平地が広がる。
そこは過去に何度も戦場になっている場所であった、と聞く。
 
人が歩いた形跡がない急な土手を、手を付きながら登ると
目の前に青空が開けてきた。
 
やっと頂上か
ふう、と息を付いた伊吹が、次の瞬間その息を呑んだのは
まだ肌寒い季節なのに、鮮やかな花が咲いていたからである。
 
いや、花ではなかった。
思わず一歩を踏み出した伊吹の足が踏んだ枯れ枝が
パキンと音を響かせた瞬間
長い髪をひとつに結んだ、赤い着物の娘が振り向いた。
 
 
娘の顔に陰がよぎったのを感じ、伊吹は慌てた。
「驚かせてすまぬ。
 安心いたせ、俺は怪しいものではない。
 それより、そなたこそ何故ここにおる?
 若い娘がこのようなひと気のない場所に、危ないであろう。」
 
娘は、ひどく迷っている様子であったので
落ち着くまで待とうとした伊吹の心をはねのけるように
向こう側へと飛び降りた。
 
 
伊吹が慌てて駆け寄ると、頂上の向こう側も似たような坂になっていた。
娘の背丈以上に生い茂った枯れ草が
ガサガサと揺れるのが、どんどん遠くなっていくので
とりあえず怪我はしていないようだ、と伊吹は安心した。
 
あの様子じゃ、ここらに慣れているようなので
きっと近隣の娘であろう。
にしても、人を花と見間違うとは・・・。
 
伊吹は自分の目を疑ったが
その娘は確かに、花のように美しかった。
 
 
「何? 今日はおまえも町に行くのか?」
乾行に肩を抱かれて、伊吹は答に困った。
 
それに構わず、乾行は話を続ける。
「昨日は参ったぜえ。
 せっかくイイ女を見っけて、これからって時に
 高雄の奴が腕組みして、見下しながら現れやがって
 女も 『あら、イイ男』 とか、ヤツの顔に騙されやがってよお。
 綺麗なのはツラだけで、中身は鬼だってのによお。」
 
「あっはははははは」
思った以上の最悪な展開に、伊吹は前のめりになりながら腹を抱えて笑った。
「何だよ、おりゃあ、それから一日中コキ使われたんだぜえ。
 イイ女たちが大勢いるってのに、野郎の面接の手伝いなんてよお。」
 
伊吹は、ふと訊いた。
「町にはイイ女がいっぱいいるのか?」
その質問に、乾行は はあ? と大口を開けた。
「まったく、おめえといい高雄といい
 何度も町を通ってて、女以外の何を見てるんだよ?」
 
ああ、信じらんねえ信じらんねえ
こんな情緒のない野郎と一緒にいたら、こっちまで萎えちまう
と、嘆きながら、乾行は馬にヒラリとまたがった。
 
「んじゃな。
 今日は俺の居場所を密告すんじゃねえぞ。」
 
伊吹は慌てた。
「俺は何も言ってないぞ!」
 
「おまえの居場所なんか、いつでも探してやるさ。」
伊吹の後ろから、突然現れた高雄が叫ぶ。
びっくりして振り向く伊吹の肩に、今度は高雄が手を回す。
 
「さあ、今日はおまえが手伝ってくれるんだろ?」
 
 
 続く 
 

関連記事 : 殿のご自慢 2 13.2.15 
       
       殿のご自慢・目次

殿のご自慢 2

「・・・おい、おまえ、どうした?
 ずっと今日は上の空だな。」
ボーッと町行く人々を眺める伊吹に、高雄が声を掛ける。
 
「なあ、おまえは女に興味がないのか?」
伊吹の質問に、高雄は静かに、しかし辛らつに言う。
「おまえがそんな事を言うとは、乾行の病気が移ったか?」
 
気まずそうな表情になる伊吹に、申し訳なく思ったのか
高雄は真面目に答えた。
「私の結婚は、家の政治だ。
 よって無駄な事はしたくない。」
 
 
「・・・女を想うのが無駄か・・・?」
高雄が珍しく、目を見開く。
「想っているのか?」
 
「いっ・・・いや、想っていない、想っていない!」
伊吹が立ち上がった拍子に、台が倒れて書類が散らばる。
 
「おまえは・・・」
「すまん・・・」
 
ふたりで書類を拾い集めるが、その数は少ない。
「ここいらの地では、うちの陣の兵は集まりにくいな・・・。」
「そうか、相手の人気が高いんだな。」
「うむ、領地から遠い出兵では、半農の兵を連れては来にくい。
 ましてや、ようやく田畑作業を始められる季節だしな。」
 
 
書類をトントンと揃えながら、高雄が言う。
「今回のいくさで出てくる、龍田 (たつた) 家は
 我らが八島家とは、何の遺恨もないのだが
 山城 (やましろ) 家との義理で、やむなくだそうだ。
 民にとっては、良い統治をしている良い殿らしいので
 負け戦で散らせるのは惜しいな。」
 
「うむ・・・。
 我が大殿は、そこは容赦せぬからな・・・。」
 
この時代、余程の事がない限り、やいばを向けた者は家ごと滅ぼすのが掟。
拮抗した力の家がいくつもあると、裏切りが横行するからである。
 
今回の戦いの相手も、そういうしがらみに縛られて
本来なら相対する事のない、何倍もの兵力を持つ八島家に
立ち向かわざるを得ない状況で、同情の声も多かった。
 
 
「しかし本当に迷惑なのは、近隣の町や村だな。
 いくさがある度に、田畑が荒らされ
 男たちがかりだされて大勢が死ぬ。」
 
高雄のこの言葉に、伊吹は急に不安になった。
あの娘、今日もあそこにいるのではないか?
いくさ渡りを生業とする野武士らも集まって来ている。
中にはタチの悪い奴らもいる。
いくら慣れている土地とはいえ、そういう輩に囲まれたら・・・。
 
「すまぬ、高雄、後は乾行に頼んでくれ。
 あいつは多分、居酒屋にいる。」
 
 
走り去る伊吹を見送りながら、高雄はつぶやいた。
「裏切ったな・・・。」
 
だが、乾行の本当の居場所は甘味処だ
甘いものが好きな町娘を引っ掛けているのだぞ。
 
高雄はスッと立ち上がり、作業をしている者たちに告げる。
「おまえたちは続けてくれ。
 私はすぐに乾行を連れて戻る。」
 
 
 続く 
 
 
関連記事 : 殿のご自慢 1 13.2.13
       殿のご自慢 3 13.2.19 
       
       殿のご自慢・目次 

殿のご自慢 3

昨日の場所に来たが、誰もいない。
良かった、と思う反面、ガッカリする気持ちがあり
俺は何を期待していたのか、と頭を振る伊吹。
 
昨日はあの出来事に驚いて、結局目的を忘れて帰ってしまったんだった
丁度良い、予定していた下見をしておこう。
 
 
伊吹は平原の右手を指差した。
あそこが我が方が陣を置く場所。
中央右に乾行、左に俺、高雄は真ん中の奥。
 
腕を水平に左に動かす。
乾行と俺の突撃に怯まぬ兵はいない。
高雄は少し後ろから、逃れ出る兵を討つ。
 
そうやって、三角の布陣が出来上がる
3人が揃う戦場では、それがいつもの兵法で最強だが・・・
戦いに “絶対” はない。
今回も俺たちは三人、水さかずきを交わして、この地に立つのであろう。
 
 
伊吹は空を仰いだ。
もう陽はあたりを赤く染め始めている。
まだ陽も短いというのに、冬が終わった途端にいくさとは・・・。
 
伊吹は戦いが好きではなかった。
しかし陣取り合戦に意欲のある殿に拾われたからには
いくさで役に立たねば、生きている価値がない。
 
乾行が女遊びに狂っているのは、いつ死ぬかわからない人生だからであろう。
家に縛られている高雄は、女に興味がない。
俺は・・・・・
 
 
視線をふと下ろしたら、枯れ草の中に赤い花のかんざしが落ちていた。
これは、昨日のか?
拾い上げて、あたりを見る。
誰の気配もない。
 
このような目立つものは、昨日はなかった。
あの娘、もしや今日も来ていたのであろうか?
 
 
伊吹はかんざしに付いた赤い花を見つめた。
このかんざし、花のようなあの娘に似合っていよう。
だが、どうしたものか。
失くして困っているかも知れぬ。
 
もしここに探しに来た時に、野ざらしでは可哀想だな。
伊吹は袂から出した手拭いで、かんざしを包んで地面に置いた。
 
 
朝起きて顔を洗いに出たら、既に身支度を済ませた高雄に呼び止められた。
「すまぬが、今日は新参の兵に規律を教えてやってはくれまいか。」
 
高雄の顔色が優れない。
無理もない。
もうすぐ開戦だが、主軸となる重臣たちもまだ来ていない。
領地から離れた地でのいくさは、準備に手間取り
それを高雄が一手に引き受けている。
 
俺も手助けをしてやらねば。
伊吹は、高雄が少しでも元気が出るよう明るく言う。
「うむ、そっちの方は任せろ。」
 
「すまぬな。 本来は私の仕事なのだが・・・。」
「いや、俺は開戦前は暇なので、何でも言ってくれ。」
高雄は礼の代わりに手を上げて、廊下を急ぎ歩いて行った。
 
 
募集兵は、その多くが小銭稼ぎの一度限りの参戦である。
そのような者たちに、作戦を授けるのは無理どころか
こちらの戦法を敵方に洩らされでもしたら大変である。
 
よって、募集兵には我が陣営にいる時に
守ってほしい、しきたりや流儀を伝えるぐらいしかない。
 
 
戦場での働きは、武将たちがいかに足軽を鼓舞させ
指揮を取れるかに懸かっている。
だから武将は真っ先に、敵兵の中に突っ込むのである。
 
強い武将は、いくさの場において
まるで軍神をその身に降ろしたかのように輝く。
戦場は、武士の晴れ舞台であった。
 
 
高雄はその冷たい美しさで、兵を惹きつけ
乾行は派手な豪腕で、兵の意欲をあおる。
 
俺には何もない、そう落ち込む伊吹であったが
堅実さと誠実さによる安定感は、誰よりも勝っていた。
 
“死にたくなければ伊吹さまの隊に入れ”
それが野武士らの認識で、結果的に生きていくさを重ね
経験を積んだ者たちが、伊吹の周囲に集まってきていた事を
伊吹は知らなかった。
 
 
 続く 
 
 
関連記事 : 殿のご自慢 2 13.2.15 
       殿のご自慢 4 13.2.21 
       
       殿のご自慢・目次 

殿のご自慢 4

新参兵への説明も一通り終わり、高雄のところに手伝いに行こうとした時に
城女中が声を掛けてきた。
「あの・・・」
 
「これは、世話になっている。」
伊吹は一礼をした。
 
 
八島家は、西の隣国の吾妻 (あづま) 家との争いに忙しく
東の向こうにいる山城家にまでは、手を伸ばせなかった。
それは山城家も同じ事で、東の勢力を束ねようとするだけで精一杯であった。
その両家が何故ぶつかる事になったのか。
 
それは八島家と山城家の領地の、ちょうど中間にある
山城家所有の領の民が決起したのである。
年貢の取立てが厳しすぎる、と。
 
事実、山城家は東国の敵対大名家たちとの
度重なるいくさで、疲弊していた。
足りない費用は、民に課す税で補うほどに。
 
 
それを見逃すはずがないのが、天下の覇権に色気を出す八島家。
これを機会に山城家を潰し、東の大名たちを配下に置かんと
乗り出してきたのである。
 
山城家は、このいくさの主力を
決起地の南方に居を構える同盟国の龍田家に任せた。
 
 
龍田家はこのいくさに反対であった。
山城家には東をまとめられるほどの力は、もうないのに
我欲で無謀な戦いを重ねて、民を苦しめているようにしか思えないからだ。
 
元々龍田家は歴史ある家系なので
いくさをしてまで、領地を広げようという野心もなく
山城家のいくさには、ほとんど関わらずにやり過ごしていた。
 
だが今は亡き龍田の祖父が、帝の娘と恋仲になった時に
いくら伝統があるとはいえ、たかが地方の一大名に娘をやりたくない帝を
説得してくれたのが、山城の曽祖父であった。
 
あの時の山城、龍田の両家の主は、確かに友人であったのだが
代替わりをした今は、龍田家は山城家の天下取りの道具に過ぎない。
“帝の血を継ぐ家を配下に持つ” という理屈のための。
 
 
そういういくさに、八島家は遠征して戦いに臨むのだが
開戦したら、戦場近くに陣営を張る。
それまでは八島家所属の武士や使用人たちは
もっと手前の町の近くの、豪族の城に逗留させてもらっているのである。
 
城女中は驚いた。
八島家と言えば、天下を取らんとする有力大名のひとつ。
地方豪族の者など、利用できなければ殺されるだけである。
現に八島家の多くの者は、我が物顔で城をウロついている。
 
その恐ろしい力を持つ大名家の臣下が
女中である自分に頭を下げて礼を言うとは。
 
 
それでも顔色を伺いながら、恐る恐る言う。
「あの・・・、どなたさまに申せば良いのかわからないのですが・・・。」
城女中に伊吹は気さくに応えた。
「俺に言ってくれれば、しかるべき者に申し伝えるゆえ
 安心して言っていいぞ。」
 
「はい、実はこのままいけば、お米が足りなくなるかも知れません・・・。」
その言葉を聞いて、伊吹は理由をすぐに思いついた。
 
なるほど、普段は通いで戦いに来てくれる者も多い場所でのいくさだったが
今回は地の者が加勢してくれないので
寝泊りと食事の用意も計算が狂ったのだな。
 
「わかった。
 すぐにどうにかするので心配しなくて良いぞ。」
伊吹の快諾に、城女中はようやく安心した。
 
いくら優しげとはいえ、気が荒くなければ武士は務まらないからで
彼らの自尊心をどこで傷付けるかわからないので、気を遣ってしまうのだ。
 
 
さて、賄い方 (まかないかた) は誰であったかな。
これは高雄を探した方が早いか?
いや、これ以上、あいつの仕事を増やしたくない。
 
伊吹が悩みながら、城の裏庭に行くと
安宅 (あたか) が声を掛けてきた。
 
この青年は、高雄の小姓である。
小姓とは、身分のある世継ぎ男子に付く部下で
自らも身分が高くないとなれない。
警護から身の回り一式、仕事の手伝いに至るまで
高雄のすべての世話をする役目の者である。
 
「伊吹どの、高雄さまは今、城にはおりませぬが。」
もう開戦も近いこの時期に、安宅を残しての外出など
高雄の立場からしても、ありえない。
「何かあったのですか?」
 
安宅は本来なら、口が固い忠実な部下だが
伊吹は高雄の親友であるので、声をひそめて告げた。
 
「はい、実は大殿の到着が遅れそうなのです。
 高雄さまは詳しい事を確かめに
 国境 (くにざかい) まで出向かれました。」
 
 
「何と・・・、そのような事も起きておるのか。
 困ったな・・・。」
あごに手をやり考え込む伊吹に、今度は安宅が訊く。
「どうなさいましたか?」
 
伊吹は食料の事を安宅に相談した。
「合戦中に食料が足りなくなるのだけは避けねば。」
 
「そうですね。 では、わたくしは賄い頭を探します。
 伊吹どのは、町に行って米の手配をしていただけますか?
 事後承諾やむなしだと思うのです。」
「うむ、俺もそう思います。」
 
 
当面の蓄えの大体の量を、ふたりで計算し
安宅は台所へ、伊吹は手の空いた者を数人連れて、町へと馬を走らせた。
 
 
 続く 
 
 
関連記事 : 殿のご自慢 3 13.2.19
       殿のご自慢 5 13.2.25  
       
       殿のご自慢・目次 

殿のご自慢 5

町の問屋で一通りを依頼し、差し当たり店で仕入れた食料を馬に積み終わり
供の者に城まで運ぶ段取りを終え
やれやれ、と肩を揉む伊吹の目に、小間物屋の店先に並んだ商品が入った。
女が使う手拭いや髪飾りが並んでいる。
 
伊吹がついつい覗き込むと、売り子の娘が声を掛けてきた。
「イイお人にあげなさるんで?」
伊吹は少し顔を赤らめながら、いや、とだけ答えた。
 
しかし並んでいる商品は、どれも大人しい色のものばかりである。
「真っ赤なのはないのか?」
 
伊吹の問いに、売り子は笑った。
「お客さん、そんな高いものはうちでは扱っていませんよ。」
「高い?」
「真っ赤な染料って、すごく高価なんですよお。
 そういうのがご希望なら、こっちに来てくださいな。」
 
 
売り子は戸惑う伊吹をグイグイ引っ張って、立派な構えの店へと入った。
「お客さんだよお、呉服屋さん。
 この人、赤染めの小物が欲しいんだって。」
 
勝手な説明をすると、親切をしてあげたと思っているように
誇らしげに、伊吹を見上げてニッコリと笑う。
「ここならお客さんの言ってる品もあるよ。
 次はうちでも買っとくれよ。」
 
呆然とする伊吹を置いて、売り子はさっさと出て行った。
「これはこれはお侍さん、赤染めとは高級志向でございますな。」
もみ手をする店の主人、赤いものは相当高いようだ。
伊吹、絶体絶命の危機。
 
 
「すまぬ、さっきの娘のところで、ただ小物を見てただけで
 買うつもりはなかったのだが、・・・そうもいかぬな。」
伊吹は懐から小さい巾着を取り出した。
 
「今、俺が手持ちの金子はこれだけだ。」
小さな金の粒が1個に、後は銀粒が4つ
あちこちで流通している、色々な種類の銅銭が5枚。
 
「金粒は、これで当分は食っていかねばならぬから出せぬ。
 できるなら銀もひとつは残しておきたい。」
伊吹の開けっ広げな説明に、主人はプッと吹き出した。
「正直なお方でいらっしゃいますな。
 で、どのようなお方に贈り物をなさりたいのです?」
 
 
伊吹は、その説明にも困った。
一度しか会っていない、しかも話もしていない娘に贈り物など
滑稽 (こっけい) に思われそうだったので、不本意な嘘を付いてしまう。
 
「・・・と、時々会う、花のような娘に・・・。」
言っていて、顔が真っ赤になるのが自分でもわかる。
「その娘が真っ赤な着物を着ているので
 赤が好きなのだろう、と・・・。」
 
「全身、赤の地のお着物ですか?」
「うむ、かんざしにも赤い花が付いているのだ。」
 
主人は少し考え込むと、ちょっと失礼しますよ、と
奥へと引っ込んで行った。
 
 
伊吹はおかみから出された茶を飲みながら、間が持たない様子で
暖簾 (のれん) の下から見える、町行く人々の足元を見ていたりした。
 
やがて主人は、盆を持って戻ってきた。
盆の上には緑色の組み紐が1本乗っている。
これは何だろう? と伊吹が覗き込んでいると
主人が紐を手にとって、説明し始めた。
 
「その娘さんは、赤いお着物を着てらっしゃるんでしょう?
 でしたら、赤に赤は目立ちません。
 この組み紐をよくごらんください。
 濃い緑と黄色がかった淡い緑の2色が使われております。」
 
伊吹は覗き込んで、感心した。
「おお、美しいな。」
 
「この濃い方の緑は薄緑 (うすみどり)
 淡い緑は薄萌葱 (うすもえぎ) というんですよ。
 緑は赤を引き立てて、とても良く映えます。
 花には緑が付きものでしょう?」
 
 
主人の説明に、いたく感心した伊吹はそれを買う事にした。
「これなら、おまけしてその銀粒1つで結構ですよ。」
 
店に入った時はどうなるかと思ったが
良い贈り物が入手できて良かった。
 
「その紐は、髪を縛ったり、首から物を下げたり、袋の口を閉じたり
 色々な使い方ができるので、重宝しますよ。」
 
主人に、笑顔で言う伊吹。
「うむ、良いものを紹介してくれて礼を言う。
 また何かあったら頼むぞ。」
 
「お待ちいたしております。」
主人は深々と頭を下げた。
 
 
伊吹が店を出て行ってしばらくして、主人は頭を上げた。
「あんた・・・。」
隣で表情を曇らせているおかみは、主人の女房である。
 
「あのお方は、西の方のお侍さんだな。
 良さそうな青年なのに、お気の毒にな。」
 
 
 続く 
 
 
関連記事 : 殿のご自慢 4 13.2.21 
       殿のご自慢 6 13.2.27  
       
       殿のご自慢・目次 

殿のご自慢 6

思いがけずに、娘への贈り物を買ってしまった伊吹は
どうしようか迷ったが、あの丘へと向かう事にした。
 
まだ陽は斜め上にある。
もしかしたら、と、無意識に足が速まる。
 
空が見えてきたが、やはり花はない。
俺は何を期待していたのだろう、と笑いすら込み上げてくる。
一度見かけただけの、話もしていない女のために
決して安くはない金を使ったりして、自分がとても滑稽に思える。
 
この草むらも何度通っても、自分の足跡しかない。
伊吹は急に泣きたくなるような孤独感に襲われた。
 
 
しかし伊吹は武士。
合戦前に弱気になっていたら、士気に関わる。
 
仕方あるまい。
この紐は男でも使える。
自分で使えば良い。
 
そうは思っても、急ぎ足も次第にトボトボと力がなくなり
空が見えてから頂上に着くまでに、かなり時間が掛かってしまった。
 
 
本当に花が咲いている
そう思ったのは、地面に置かれた真っ赤な手拭いゆえであった。
伊吹は駆け寄り、それを慌てて拾う。
フワッと香った甘い匂いに、軽いめまいがする。
 
手拭いには、小さな巾着袋が包まれていた。
・・・・・・緑だ!!!
伊吹は、娘との不可思議な縁を感じずにはいられなかった。
 
 
地面に正座をすると、膝の上に懐から出した自分の手拭いを広げた。
今まで使っていたのは、この前かんざしを包んだので
これは新しく買ったものである。
しかし、単なるくすんだ灰色のつまらない布でしかない。
 
その手拭いの上に組み紐を大事そうに置き、丁寧に丁寧に包んだ。
そしてそれを、娘の手拭いが置いてあったところにソッと置いた。
 
 
これは、金子入れであろうか?
俺が使っているのは、もうボロボロで破れていて
呉服屋の主人も、見て少し笑っていた。
 
ありがたい。
女というのは、何故こういう事に気が回るのだろう?
 
伊吹は巾着の中を覗いたり、裏返して眺めたりした。
おお、内側は外側よりも濃い緑なのか。
布が二重になっておるのだな。
これは丈夫で良い。
 
 
ひとしきり巾着を眺めた後に、伊吹はふと不安を感じた。
・・・この緑は、組み紐の緑とちょっと違う色だな。
 
あの紐より、もっと鮮やかな緑だ。
あの娘ははっきりした色が好みなのだろうか?
 
伊吹はさっき置いた手拭いを拾い、もう一度組み紐を出してみる。
この紐の色、少し地味ではないか?
ああ、そういえば
 
巾着が包まれていた赤い手拭いを、膝の上に広げた。
その赤い手拭いの上に、巾着と紐を置いてみる。
この赤に確かに、この巾着の緑は目立つが
この紐の緑の方がしっくりと落ち着いて、良いように思える。
 
 
ふう・・・・・・・
ひとしきり考えた後、伊吹は溜め息を付いた。
 
俺にこういう事柄は難し過ぎる。
あの娘が気に入ってくれなかったら、また呉服屋の主人に相談すればよい。
この赤い手拭いも借りよう。
この赤に、より合うものを見繕ってくれるであろう。
 
しかし、これが高価だという、赤染めという色か。
確かにこのような鮮やかな赤は初めて見る。
花と見間違えるのも無理はないな。
 
 
伊吹は再び組み紐を包んだ手拭いを置き、赤い手拭いは懐に入れた。
巾着はそのまま手に持ち、陽にかざして眺めながら丘を降りた。
 
 
 続く 
 
 
関連記事 : 殿のご自慢 5 13.2.25 
       殿のご自慢 7 13.3.1 
       
       殿のご自慢・目次 

殿のご自慢 7

「・・・伊吹が女くせえ・・・。」
 
乾行の言葉を、高雄がたしなめる。
「あいつが女々しいなど、的外れの悪口だな。」
 
乾行は叫んだ。
「馬鹿か!
 おりゃあ、別に今あいつと喧嘩なんかしてねえよ!」
 
乾行は高雄の着物の襟を両手で掴んで引き寄せ、小声でささやく。
「俺が言ってるのは、あいつから女の匂いがする、ってんだよ。」
 
高雄は嫌そうに、乾行の顔を手で押しのける。
「おまえの面 (つら) を間近で見せるな。」
 
 
「失礼な!」
とは言ったものの、意外にも乾行は怒らない。
「おまえのような綺麗な男に言われたら、反論は出来ねえな。」
 
「容姿など、能のない者への世辞にしか過ぎぬ。」
高雄は自分の容姿を褒められるのが、好きではなかった。
いくら頑張っても、人はまずその美しさを称える。
 
能力への評価をされていないわけではないが
「お綺麗なのに、その上うんぬん」 という褒め方をされるので
高雄にとっては、整った容姿は邪魔でしかなかった。
 
 
「で、おまえと仲が良い伊吹が何だって?」
高雄の嫌味に乾行は動じない。
「妬いてんのかよお。
 おまえともこんなに仲良しじゃねえかよお。」
 
抱き付いてくる乾行と取っ組み合いをし
ようやく足払いで、相手を地面に転がした高雄がさすがにブチ切れた。
「話を進めろ!!!」
 
「うむ、すまん・・・。」
ふたりともゼイゼイ言っている。
 
 
「伊吹から、女の良い匂いがするのだ。」
「あの伊吹に女ができた、と言いたいのか?」
馬鹿らしい、といった素振りの高雄に乾行が言う。
「おりゃあ、女の達人だぜ?」
 
高雄は考えた。
確かにこいつは八島家家臣一の遊び人。
「どんな女だ?」
 
「本人を見た事はないが、どうも良い家の嬢ちゃんのようだ。
 素人の若い娘が好みそうな匂いだけど、香料が高価に思える。」
 
 
その推理に、高雄は感心した。
「確かにおまえは女の達人だな。」
 
「ふん、俺みたいなご面相の男が、ただ近寄っても
 女は相手にしちゃくれねえんだよ。
 遊ぶにも努力が必要なのさ。」
 
「乾行・・・」
慰めようとする高雄を、乾行は両手で牽制した。
「おっと、面の事で、おまえにだけは慰められたくねえなあ。」
 
高雄は目を冷たく光らせると、乾行の手を握った。
「乾行、おまえは本当にイイ男だぞ。」
「高雄ーーーっ、おまえって奴はああああああああ!」
再び取っ組み合う。
 
 
土ボコリまみれになって、地面に座り込むふたり。
「伊吹が心配だ。
 あいつは真面目な男だ。
 騙されていなければよいが・・・。」
 
「うむ、俺もそう思う。
 しばらく、それとなく伊吹を見張っておくさ。
 おまえは大殿の迎えで忙しいだろうし。」
 
「・・・それが、実はな・・・」
高雄が声を潜めた。
「明日来る予定だった大殿が、数日遅れそうなのだ。」
 
 
八島の殿は、今回のいくさの総大将である。
その立場にある者が戦場にいないのは、士気に大きく影響を与える。
 
「では、総大将代理を立てるのか?」
「その事で私は国境まで帰って、連絡を取ったのだ。
 大殿が言うには、主だった重臣たち共々
 怨敵、吾妻家との睨み合いで、こちらに来られないらしい。」
 
乾行が険しい表情になる。
「おいおい、それじゃあ、今回の編成は
 おまえが一番上で、他は伊吹と俺以下の下級武士たちで何とかしろ
 と、言ってるのかよ?」
 
無言の高雄に、乾行が苦々しく言う。
「孤児だった俺や伊吹を重用してくれるのはありがたいんだが
 時々このような無体な事をなさるから・・・」
 
「乾行、言うな。
 おまえが暗い顔をしていると、皆も沈む。
 するまでもない勝ちいくさが、我らの力量を示す勝ちいくさになっただけだ。」
 
 
高雄のそのつぶやきに、乾行は仰向けに寝っ転がった。
「良かったな、今回は俺らが三人揃っていて。」
 
高雄も空を仰ぐ。
「うむ。 我らの三角は無敵だ。」
 
 
 続く 
 
 
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殿のご自慢 8

伊吹は早朝一番から、丘へと向かうつもりだった。
しかし、朝飯を食べているところに
物見 (ものみ:相手の様子を探る役目) の一報が入った。
龍田陣営の準備が整ったようだ、というのだ。
 
青ざめた高雄の様子に、伊吹は初めて八島の殿の遅延を知る。
明日にでも開戦になるであろうに、こちらには総大将がいない。
その事で、高雄はここ何日も悩んだであろう。
 
 
「すまぬ、俺が側にいなかったばかりに・・・。」
自分を責める伊吹に、高雄が冷たく言う。
「意味がわからぬ。
 おまえがいても、大殿の到着は早くはならん。」
 
「だが・・・」
走って来た乾行が、伊吹にドスンと抱きつく。
「何やってんだよお、いよいよ待ちに待った開戦だぜえ?
 具足の準備に人手が足りねえってえから
 俺ら、いくさ前も役に立っちゃおうぜえ?」
 
確かにウジウジ悩むのは後からでも出来る。
今は、今すべき事がある。
「うむ、高雄、いくさが終わったら話そう。」
 
慌てて武具庫に走る伊吹の後ろをついていく乾行が
振り向いて、笑いながら高雄にヒラヒラと手を振る。
 
高雄はうなずくと、すぐに背を向けた。
助かったぞ、乾行。
伊吹の馬鹿、放っとくと何でも自分で背負おうとするからな。
 
 
蔵に納めておいた槍を抱えながら、それでも伊吹はまだ落ち込んでいた。
俺はいくさ前に女に気を取られるなど
何という馬鹿な事をやっていたんだろう・・・。
 
「おお、ここに立ててくれ。」
乾行にうながされながら、槍台に槍を立てていく。
 
 
「伊吹、おりゃあ、この数日で女を三人抱いたぞ。
 ここいらの女は良いねえ、可愛くて情が深い。
 もう、惚れちまったよお、くうううううううっ。」
 
能天気なその言葉に、伊吹は顔をしかめた。
「乾行・・・、おまえ高雄が大変な時に遊んでいて
 心苦しくないのか?」
 
乾行は、あっはっは と笑う。
「高雄は “出来る” から、やってんだよ。
 それが高雄の領分さ。
 俺らは高雄が望めば力になる、それが役目だ。」
 
 
伊吹はハッとさせられた。
自分がいないから高雄が大変だなど、思い上がりも甚だしい。
 
「おまえも高雄に手伝わされただろ?
 俺なんか、女を連れ込もうとした宿の店先に
 高雄が仁王立ちしてたんだぜえ。
 あいつは必要とあらば、こっちの都合などお構いなしに
 引きずり回してくれる奴なんだよ!」
 
乾行の文句に、伊吹は気が晴れる思いであった。
「うむ、そうだな。
 高雄が必要とした時に、俺たちがいれば良いのだ。」
 
 
伊吹の表情が明るくなったところで、乾行が探りを入れる。
「伊吹、おまえも女が出来たな?」
否定するにも、乾行は伊吹の胸元をクンクンと嗅いでいる。
 
「・・・・・・わかった、ちゃんと言うよ。
 別に女が出来たわけではないのだ。
 ただこれを貰って、俺は紐を渡しただけだ。」
 
 
伊吹の胸元から出てきた真っ赤な手拭いを見て、乾行はギョッとした。
金持ちの娘だろう、とは推測していたが
ここいらに、赤染めを手拭いに出来るほどの家があったか?
 
「どんな女だ?」
乾行の問いに、伊吹は少し視線を落とした。
 
「さあ・・・。
 花のような娘なのだ。
 その娘からは、この巾着を貰ってな。
 この緑と俺が贈った紐の緑と、ちょっと違うんだ。
 気に入って貰えるだろうか?」
 
 
いつもはまともな伊吹が、わかりにくい話の展開をする。
しかし水を差したら、黙り込まれるかも知れないので
乾行は頭の中で、状況を組み立てるのに必死になった。
 
要するに、こいつらは何らかの事情であまり会えずに
物の贈り合いだけ、やってたんだな?
 
 
握り締めた緑の巾着を見つめている伊吹の肩をポンポンと叩いた。
「心配すんな。
 その巾着の緑は、おまえに似合う色だぜ。
 女はそれを考えて選んだんだろ。
 おまえが女に合う色を選んだようにさ。」
 
「そ、そうか・・・!」
臆面もなく笑顔になる伊吹に、乾行はウンザリした。
ああ、やだやだ、純情野郎の初恋なんて体がむず痒くなるぜ。
 
 
疑問は何ひとつ解明したわけではなかったが
伊吹のあまりの純粋さに、事はうやむやになってしまった。
 
 
 続く 
 
 
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殿のご自慢 9

 とうとう開戦の日がやってきた。
 
翌日にでも始まる、と思われたいくさは
何故か龍田家側がいくさ場に現れず
延びに延びて、三日後にまで遅滞した。
 
それでも八島の殿も、重臣たちも到着せず
八島家陣営に総大将の旗は立たなかった。
 
 
戦場に両陣営が揃った。
その瞬間、高雄は愕然とした。
何だ、龍田家側の数は!
 
龍田家の兵士の数は、八島家側と同じぐらいなのだ。
あれだけ兵を集めるのを苦労したあげくに
殿を始め、八島家の主だった重臣たちが来ていないのにも関わらず。
 
 
龍田家はいくさを好まず、山城家との付き合いで
どうしても、という時にしか参戦せず
そういう家だから、重臣たちにも名のある武将もいない。
 
こちらには、伊吹と乾行の我々三人がいるぶん
こちらの人数が少なくとも、勝てる戦いなのである。
龍田家は少なくとも、倍の兵数を集めてしかるべき。
 
高雄に疑心が生じる。
まさか大殿はこれを見越して、わざとおいでにならなかったのでは・・・
 
 
「ひゃっほう!」
乾行の声が響き、高雄は我に返った。
 
「敵さんたち、少なくて楽勝だねえ。
 だけど、おめえら、手を抜いちゃダメだよお?
 どんな相手にも全力で! それが武士の礼儀っつーもんよ。」
兵たちが おおおおっ と呼応する。
 
 
高雄の頭が冷えた。
そうだ、私たちだけでやらなくてはならないのではない
私たちだけで充分なのだ。
 
「いくぞ、矢を放て!」
高雄の言葉に、開戦の合図の鏑矢 (かぶらや) が敵陣営へと射ち込まれる。
相手方からも、ヒュウウと音を上げて矢が飛んできた。
 
「開戦だあっ!」
両陣営は、一斉に走り始める。
 
 
「いくぞ! 俺らが先駆けだあっ!」
乾行が叫ぶと、兵たちも雄叫びを上げる。
 
相変わらず、盛り上げるのが上手い
高雄がそう思った時、敵陣営からも同様の おおおっ と声が上がった。
相手陣営にも兵を引っ張る者がいるようだ。
 
 
“花がいる”
 
甲冑に身を包み、手には槍を持ち、馬上にいる伊吹が思う事ではない。
 
 
その花は、どんどんとこちらに走り寄り
伊吹に向かって、突っ込んで来るかと思われたが
その少し手前で急にヒヒヒンと馬がいななき、その足を止めた。
 
その馬に乗っていた真っ赤な甲冑の女は
確かにあの時あの場所にいた、あの花であった。
 
 
そこは戦場にも関わらず、見合ったふたりの驚愕に圧倒され
その周囲だけは、誰も身動きを取れなくなっていた。
 
 
 続く 
 
 
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殿のご自慢 10

敵味方両軍の片翼が静止する、という、とんでもない事態に
後ろに控える高雄が、やむを得ず乾行のところに馬を走らせた。
 
「おい、乾行、伊吹はどうした!」
乾行にも推測しか出来ないが、事は急を要する。
 
「多分あれは、伊吹の女じゃねえかと思う・・・。」
「何っ?」
 
敵軍の先頭にいるのは、真っ赤な甲冑を着た女性で
伊吹を見て、明らかに動揺している。
 
伊吹も伊吹で、どうする事も出来ずに
ただ馬上で呆然としている。
 
 
我らの三角が・・・
 
高雄は舌打ちをすると、馬の腹を蹴った。
馬が前足を高く掲げ、走り出す。
 
「乾行、この場を頼む。
 安宅、来い!」
呼ばれた安宅が素早く反応する。
 
 
時の流れが止まった空間を、高雄の馬が蹴り破る。
高雄は伊吹の前に割り込み、娘を抱えた。
 
伊吹には、その動きがえらくゆっくりしたものに見えた。
すべてが止まった世界で、目の前を誰かが横切っていく。
目の前にいたはずの娘が連れ去られていく。
 
娘がこちらへと伸ばした手を、伊吹は掴もうとしたが
ふたりの手は、あと少しの間を残して空を切った。
 
 
「待て!」
伊吹が叫ぶ。
「待ってくれ、その娘は・・・」
 
伊吹の声を背に、高雄は後ろから来る安宅に命じた。
「姫を預かったゆえ一時休戦、の伝令を出せ。」
「はっ。」
安宅は、真っ直ぐに走り去る高雄から分離するように馬の方向を変えた。
 
 
「あなたは龍田家の姫ですね?」
自分に目もくれずに問う高雄に、娘は戸惑いながらも答える。
「は、はい、次女の青葉 (あおば) と申します。
 あの、さっきのお方は・・・?」
 
高雄はわざとわからぬフリをした。
「誰の事でしょうか。」
 
青葉には、それが嫌がらせだと、すぐわかった。
女だてらに先駆けをしたあげくの立ちすくみなど
失態もいいとこで、軽蔑されても仕方のない事。
 
黙り込んだ青葉に、高雄がつぶやくように答えた。
「あれは伊吹。 私の友だ・・・。」
 
 
伊吹さま・・・
名を知る事が出来て、涙が出そうなぐらいに嬉しかった。
 
いくさで敵方に捕らえられた女性は
良くて、見知らぬ男の所有物になる。
多くは乱暴狼藉を働かれ、売られるか殺されるかのいずれかであった。
 
それをわかっているために、いくさに関わった家の女たちは
逃げるか、立てこもって自害をするのである。
 
青葉は人質となった。
身分ある人質は勝負の駒となるが、安全の保証はない
しかも自害も許されないであろう、最悪の事態である。
これによって、龍田家の犠牲と不利は決定した。
 
 
乾行は実に上手く立ち回った。
まず、高雄を追おうとする伊吹を馬上から叩き落し
伊吹の隊の槍兵たちに命じた。
「おまえら、伊吹を押さえとけ!」
 
そして敵兵に向かって叫んだ。
「待て待て待て待てえい!
 おまえらの姫さんは預かった。
 姫さんを助けたいなら、引けえい!」
 
そして自軍に向かっても叫ぶ。
「今日のところは休戦だ。
 元の持ち場まで戻って待機!!!」
 
 
両方の兵が、どうするべきか迷いながらも、ジリジリと後ずさりをする中
使い番の馬が、八島陣から龍田陣へと駆け抜けて行った。
 
 
 続く 
 
 
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